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About drone photography

about application for flight of unmanned aerial vehicles(drone)in Gongendo Park
(October 1st, 2022 enforced)

In principle, flying drones in Gongendo Park is prohibited from the perspective of ensuring the safety of park users and maintaining park facilities.
However, if a corporation is flying for photography as a business, we will ask for permission to act in the park only in the following cases, and we will approve it after confirming safety. Please contact us in advance if you are considering using it.
Flying and photography for personal hobbies are not permitted and are prohibited.

Flying an unmanned aerial vehicle (drone)

Regarding the unmanned aerial vehicle (drone) to be flown, it must be a model that has obtained permission or approval from the government, or the “unmanned aerial vehicle that can omit part of the document” posted on the Ministry of Land, Infrastructure, Transport and Tourism Civil Aviation Bureau website Applicable model. Must be registered in the country and display the registration number. Modifications are subject to state permission or approval.

Available locations

Gongendo (No.4 Park) only.

Utilization time

It will be during the opening hours of Gongendo Park.
However, it will be open from 6:30 a.m. to 8:00 a.m. during the Cherry Blossom Festival.

Way of flight

Observe the following rules wherever you fly.

About application for park act permission

Please contact us in advance and confirm that you can fly, and then submit a park act permission application (for drones).
You can download park act permission application (for drone).

Payment of usage fee

Please pay the usage fee at the management office on the day of flight. (cash only)

In exchange, we will issue a permit and receipt.

section
unit
usage fee
Videography as a business
30min
1,850yen

*When a person who has an address outside the prefecture acts, the amount equivalent to 50/100 is added to the above amount.

Flight

The management office will issue a permit/receipt and give you a permit vest.
Please wear the vest and carry the permit/receipt with you during the flight.
Please be sure to return the vest to the management office after the flight.

権現堂の歴史

天正4年(1576年)に初めて権現堂堤が築かれました。
しかし、権現堂堤はすべてが同時期に築堤されたのではなく、河川流路の締め切りやそれに伴う築堤により、部分的に作られていったものが、後に、つながり権現堂堤になったとされています。

このためには、庄内川の締め切りや旧渡良瀬川流路締め切り、同年に築堤された権現堂村の堤など段階的に行われた河川の締め切りから、権現堂堤や権現堂川の成立がうかがわれます。

この権現堂川は、暴れ河川としても知られ、宝永元年(1704年)に、権現堂堤が始めて切れてより、幾度も決壊し、ここが切れると、遠く江戸まで害が及ぶと言われ、大切に管理されていました。

天明6年(1786年)権現堂堤木立村の波堤により、濁流に飲み込まれた村人は、銀杏の大木にすがり避難したが、それも根こそぎ流され平野村の須賀間に流れ着き、無残にも75名という流死者が出ました。現在でもそのときの犠牲者の供養が行われています。

また、享和2年(1802年)権現堂の月の輪堤部分が決壊したときに、権現堂村では、80軒の民家が流される被害が出ました。母娘の順礼の悲話はこのときのものとされております。

文政9年(1826年)度重なる堤の決壊に困り、堤の補強に、上宇和田村から松石村に至る権現堂堤に松の苗木1,300本が植えましたが根づかず、何度か試みましたが結局失敗に終わりました。

このころになると、堤の管理が甘くなり、天保3年(1832年)ころには、堤通りへ竹や木が植えられ雑木林の様になり、また、屋敷の様に堤を囲い、家作や荷 蔵を造作し、川岸場の便利に利用したり、作付けのための小段とその他を掘り返し、苗木を植え付けたり、野菜などの栽培もするようになりました。

この後、時代は江戸から明治へと移り変わり、明治9年6月4日に明治天皇の東北巡幸の際に築堤工事を閲覧するため、権現堂堤の上にかごを止めさせ、金100 円が下賜された。村の人々がこのお礼に、堤の名を行幸堤としたい旨を奏上し許しを得た。また巡幸を記念して、この周辺を行幸村と称するようにした。

この頃、権現堂堤周辺は、見渡す限り平野で、堤上からは西に富士山、東に筑波と眺めがよく、大正6年に刊行された後上辰雄氏によれば、権現堂堤の風光として 次のように記しています。「春は若草のしとね青きを素足に心地快くふむで、眼下一面黄金と光る油菜の花をながめながら蝶と戯れスミレ・タンポポ・ツクシ等 と摘み草に一日の暮れるのを忘れるだらう」

このように、権現堂堤は、遠い昔より人々の想いの場所として親しまれてきました。度重なる水害にもめげず、そのつどに修復を行い権現堂堤とともに人々は暮らしてきました。

大正5年には、巣元の桜が植えられ、これを機に大正9年には、3,000本の桜の苗木が6kmにもおよび植えられました。
しかし、時代の流れとともに大正14年には、権現堂川栗橋流頭付近が締め切られ、昭和2年には、権現堂川が関宿において、突き止められてしまい、廃川の一途をたどるようになりました。

昭和4年には、東武鉄道幸手駅の開設により、それまで周辺住民の生活を支えていた船運も衰退していくようになりました。
悲しい事に、昭和20年の敗戦により、権現堂堤の桜は燃料として伐採されてしまいましたが、元の桜堤にしたいとの思いで、昭和24年に3,000本の桜の苗木が植えられ、その中の約1,000本が現在残っております。